あずにゃん Flash時計
血みどろツイート
PROFILE
LINKS
CATEGORIES
OTHERS
SEARCH

MOBILE
qrcode
LATEST ENTRIES
ARCHIVES
フルチ祭りだwww( 。ω。)ワショーイワショーイwwwww
血みどろムーヴィ / kuresaka


(ヽ´ω`)そういや世間ではゴールデンウィーク真っ只中の頃、休日出勤なんかの関係でまったく連休気分を愉しめないでいた暮逆は不貞腐れてプチ「ルチオ・フルチ映画祭」を極個人的に開催してまんた。

 まずは、どれも5回以上10回以下は見ているはずだが全盛期の傑作群『サンゲリア』『地獄の門』『ビヨンド』辺りから開始。
 いずれも死者の復活=地獄の門の決壊という共通テーマである。

     †

 『サンゲリア』(ZOMBI 2 1979)……やはり有名な眼球ブッ刺しシークエンスが最も心に残るが、主に首筋の頚動脈付近を狙ったゾンビどもの喰らいつきシーンでも、なかなかに心地よい流血と人体損壊が愉しめる。
 また残虐シークエンスに幻想テイストが皆無ということもあってか、ホラーというよりは驚くほどヴァイオレンスムーヴィ然としているなと今回の観賞で感じた。
 これはリメイク版『サランドラ』風に格好いい画角のハードタッチでリメイクされたら傑作になるんでないかな。

     †

 『地獄の門』(CITY OF THE LIVING DEAD 1980)……やはり有名な口腔からの内臓逆流シークエンスと電動ドリルによるこめかみブチ抜きが強く心に残る。しかも街を徘徊する死者はゾンビというよりはケロイドフェイスの怨霊然としており、瞬間移動で犠牲者の背後に回り込んで頭蓋骨ごと脳髄を握り潰すという凄まじい必殺技を拝見できる。
 ラストで主人公たちは怪異の元凶である自殺した神父の怨霊に対峙し、これを調伏することで死者復活=地獄の門の決壊という混沌を収めるという、この頃のフルチ作品にしては珍しく前向きな決着がついている。
 本来はそれなりにハッピーエンドであるべきラストショット(生き残った主人公たちに子供が駆け寄ってくる)に、無意味な後味の悪さを提示するエフェクト処理(悲鳴とヒビ割れのように瓦解する画面)がポストプロダクション段階で施されているのはその辺りのバランス調整のためだろうか。

     †

 『ビヨンド』(THE BEYOND 1980)……幻想的なグロテスクシーンを描きたいがためにでたらめストーリー上での必然性や関連といった脈絡を大幅に犠牲にした結果、酸鼻という独特の美意識に裏打ちされた目眩く残虐シークエンスの釣瓶打ちが愉しめる本作が、やはり名実ともにルチオ・フルチの映画キャリアにおける最高傑作ではなかろうか。

 どのぐらいデタラメかというと、怨念の権化となりゾンビっぽいルックスで復活したキーパーソン(リンチで殺された画家)に地下室で襲撃され、死亡してしまった配管工が病院のモルグに収容されているところに、未亡人となった夫人が遺体と対面せんべく駆けつけてくる。
 そして、その場で夫人が自ら夫の遺体を正装させるのだが「こういうのは納棺時に葬儀屋がやるべき仕事じゃないのか?」という疑念を抱く間もなく「なにか」を見て(前後の関係からして隣りの寝台に置かれているゾンビライクなキーパーソンの屍体だと思うが具体的なショットはなし)驚愕した夫人は昏倒してフロアに仰臥。あるいはこの時点で既にショックで心停止しているのかも知れない。
 そこへスティール棚の最上段という明らかに管理不備に対する指導が入りそうな危険なポジションに収納されていたガラス大瓶詰めの濃硫酸(?)が倒れて、夫人の顔面に程好くヒタヒタと降り注いでいくといった具合。
 まあ、この程度ならば観賞側が想像力をフルに発揮すれば(全体としてはともかくシークエンス単体での)一応の辻褄は見出せるといったところか。
(;^ω^)…………。
 また「七つある地獄の門のひとつ」とされている古いホテルの設計図を図書館で発見した人物は突然の雷鳴のような閃光に驚いて脚立から落下。意識はあるが身動きできないでいるところにタランチュラと思しき蜘蛛の群れが這い寄ってくる。「なぜ図書館にタランチュラが?」といった疑念を抱く間もなく、人物は生きたままタランチュラに眼球や鼻梁や唇や舌など主に顔面を食い尽くされていくという、これも凡人の脳髄ではちょっと発想できない神懸かった仰天シチュエーションだ。
 本作のテーマである「地獄の門の決壊」ゆえに図書館にタランチュラが現れたとしてもそれほどの不思議はないだろう。件のホテルの設計図はディゾルブで消失してしまうし、ホテルの秘密を隠蔽せんがための邪悪なる意志の仕業なのだ。
(;^ω^)…………。
 〈地獄の門〉を開こうとした画家が町民たちに寄ってたかってリンチされる冒頭から残虐シーンの見本市な訳だが、ジャンネット・デ・ロッシの手掛けた特殊造形が如何にも作り物然としているのが妙に可笑しくて、それもまた心に残る。
 前述のタランチュラに食われる人物の睫毛とか、なんかブラシみたいだし。
 しかし反面、盲目の女性が盲導犬に喉を食い千切られるシーンにて。
 皮膚がさながらピザのチーズみたいにニョローンと伸びた「ねーよwwwwww」という有名なショットがあるが、あれはおそらくパブリシティ用のスチールで、実際の本編中では皮膚はしかと噛み千切られており、皮下脂肪部分がやや伸縮性を見せているのみで、そういう変なところにリアリティの重点を置いていたりするのもまた逆に愉しい。
 かと思えば、それまでは屍体の額や胸にポッチリと赤いスポットを残すのみだったリヴォルヴァーでの銃創が少女の頭部を撃った途端、まるでショットガンでもぶっ放したように吹き飛んでしまうというオモシロ演出も素晴らしい。

 主人公に警告を与える盲目の女性の存在や、ラヴクラフト一派の〈クトゥルー神話大系〉でお馴染みの魔導書〈エイボンの書〉といった神秘的な道具立てを用意しておきながら畢竟なにも有用には使われなかったり、主人公たちはキーパーソンである画家の怨霊と対峙するカタルシスすら用意されていない。
 終盤は病院を舞台とし、地獄の門がオープンしたことで死者がワラワラと溢れだす。(このゾンビ造形が『悪魔の墓場』ライクでなかなか興味深い)
 主人公たちは迫ってくる屍生人どもを躱して病院の地下に逃れるが、なぜかホテルの地下と繋がっており、しかも荒涼とした地獄が拡がっている。為す術もない主人公たちはそこで盲目となり、地獄風景に取り込まれるようにこれまたディゾルブで消滅していくのだ。
 そんなハリウッド的なエンターテインメントというか通常の作劇作法に唾を吐き、土足で踏み躙り、後ろ肢で砂をかけたと思ったら急に振り返って不意打ちで顔面にスペルマをぶちまけるような非ドラマツルギーっぷりが、蛮勇を通り越してもはや神々しいほど。

 ちなみに暮逆が所持しているのは以前Anchor Bayからリリースされていたアイテムなのだが、これがスクィーズでのシネスコ収録は当然としても音声も5.1chサラウンドサウンドへのディスクリートが実に素晴らしい優れ物だった。

     †

『墓地裏の家』(THE HOUSE BY THE CEMETERY 1981)……前述した3作に比較するとワンランクダウンの感は否めないながら、少々ツイストを利かせた〈呪いの館〉テーマで見応えのある残虐シークエンスが横溢しており、なかなか好ましい作品と云えよう。
 そしてキーキャラクターである〈フロイトシュタイン博士〉が最後に姿を見せたときの格好良さは異常。ちょっと類を見ないタイプのゾンビ造形なのだ。

     †

『ルチオ・フルチの恐怖! 黒猫』(THE BLACK CAT 1980)……御存知エドガー・アラン・ポー原作の短編を「換骨奪胎っていうレヴェルじゃねえぞ!」ってぐらいのやんちゃなアレンジを施して映画化。原作との共通項はヒロインが隠し部屋に煉瓦で塗り込められてしまうが黒猫が鳴いて発覚……というただ1点のみかも知れない。
 これ何度観ても解ったような解らないような話なんだけどフルチのフィルモグラフィーでは比較的面白い方だわね。シネスコの画面に風情があっていいし、抑制の利いた演出もフルチにしては珍しい。

     †

『ザ・リッパー』(THE NEW YORK RIPPER 1982)……物語が余りにもあっちこっちに行き過ぎる感があるがフルチにそんな苦言を呈しても詮ないし、オカルト要素のないダークな都市型サイコサスペンスというトーンが好ましい。かなりの力技ながら一応フーダニットの要素もある。
 また語り草になっている娼婦惨殺シーン、剃刀による乳首縦割りと眼球グリグリ切断はホラーマニアというか特殊メイク愛好者ならば一度は観ていて欲しい秀逸シークエンスだ。
 そして意外な哀切感を残すラストも含めて暮逆的には『ビヨンド』に次ぐお気に入りなのである。

     †

『マーダーロック』(MURDER-ROCK 1985)……ダンススクールを舞台に無意味なエアロビクスシーンをフィーチュアした都会派サスペンスという舞台はフルチ的には新鮮なのだが。
 こ れ は ひ ど い (´・ω・`)
 中途半端にまともに創っているだけにこれは却って酷い。
 犯人の意外性やミスリードの仕方、そして犯行動機などはバカミスっぽくて好ましいのだが、刑事が真相に至る契機が余りにも安っぽ過ぎて、まさしく2時間サスペンスのTVドラマみたいで戴けない。
 殺しの手段も薬剤で昏倒させた後に、婦人帽子装飾用のハットピンで心臓を突き刺すという、なんとも画的に地味過ぎるものでフルチ先生のグロテスク美学が介入する余地なし。ダンスシークエンスを含めて出来損ないの『フラッシュダンス』みたいなキース・エマーソン担当の劇伴も時代性を反映して痛々しいばかり。
 さすがにフルチ愛好家の暮逆もこれを擁護することは難しいな。

     †

『マンハッタン・ベイビー』(MANHATTAN BABY 1982)……過日、定例の飲み会異端査問会の席にて「ルチオ・フルチはいつからダメになってしまったのか?」という崇高なる議題が提示された。
 初期のミステリーテイストの作品の纏まり具合は云うに及ばず、全盛期の作品群も確かに物語の多くは破綻しているが、いずれも残虐映画史に残るべきパワフルかつ幻想的なグロテスクシーンの演出には間違いなく刮目すべきものがあった。
 然るに後期の作品群は極一部の作品中に垣間見られる奇跡的に素晴らしいゴアシークエンスを除いて実に惨憺たる様相を呈しているばかり。
 では、その落魄の契機となった負のメルクマールたるべき作品はなにか……と。
 厳粛なる審議の結果、ほぼ満場一致で合意をみたのがこの作品なのである。

 エジプトで遺跡発掘に従事していた考古学者一家がNYに戻ってきてから、いろいろとスーパーナチュラルな怪異に見舞われるというのが物語の骨子なのだが。
 これは冒頭の発掘シーンは『エクソシスト』そして後のオカルティックな怪奇現象連発シーンは『ポルターガイスト』の明らかなエピゴーネンでしかない。
 しかも扇情的なショッキングシークエンスを脈絡もなく繋いでみせるのはフルチの御家芸だったが、ここではそれらのシーンが既視感のある劣化版ばかりでまったく精彩を欠いてしまっているのだ。当然、人物への視点もブレまくって一家の誰に焦点を置いているのか不明瞭などころか、更に余計な人物まで入り乱れる始末。

 例えば一家からなにやら危機的な通報を受けた警備員が部屋へ向かおうとエレヴェータに乗り込む。するとチープなセット感丸だしのエレヴェータボックス内に異様な閃光と音響が炸裂してパニックを演出したかと思えば、まるでコントのようにボックスの床がすっぽ抜けて警備員は奈落へと落下。そして二度と再びこのエピソードが劇中で顧みられることはないのだった。

 これらの混沌とした不条理の連続が意図して狙った“難解さ”というよりも明らかに製作中の現場の混乱に因する物語=脚本の破綻として露呈してしまっていることが素人目にも解ってしまうのが余りにも物悲しい。

 (つω-`;) 確かにルチオ・フルチの凋落はこの作品から始まったと見るのが正しいだろう。
 今回は中途半端にここまでで一旦終了してしまったフルチ映画祭も、また機会を窺ってすかさず倍プッシュで続行していきたいところだが。
 しっかし暮逆はなんで『サンゲリア』3つも持ってるかね。25周年記念エディション以外は整理するかね。
| - | - | -
pagetop
<< なんという劇場未公開( ^ω^)これは間違いなくヴィデオスルー | main | 暗闇にベルが鳴ったりwww( ^ω^)鳴らなかったりwwwww >>

08
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--